○中山(マ)委員 落ちつき先を調べてそれからということになりますと、間拍手に合わぬことになりますが、帰ってきた人をそれでは一時定着寮にでも入れておいて、もし今度の十六名の中で、どこかの人は奥様が先生をして子供を一人育てる、そういう家のある人は何とか間に合って心配はないのでございますが、さっき政務次官もおっしゃっていらっしゃいましたように、もう長いこと向うにおって、全然内地に関係のないような人が、まるで
中山マサ
厚生省にお尋ねをいたしますが、これまでの大体平均でございますが、数万人帰ってきた場合に、その中の割合で、家族があって、帰ってもすぐに困らない人たち、あるいは全然なくて定着寮に入れなければならなかった比率はどんなものでございましたか。
中山マサ
○田邊政府委員 今定着寮と一時寮に分けて御質問があったのでありますが、一般引揚者に対する処遇といたしましては、単身でお帰りになった方は、一時寮に一時お入りになる、そのうちに自分の生業その他をお見つけになると、それに対応してしかるべき住居を持って出ていかれる。家族持ちの方につきましては、一時寮にいつまでもお入り願っておきませんで、定着寮あるいは個々の住宅等をお世話しておるわけであります。
田邊繁雄
○受田委員 仮出所されております第三国人である戦犯の皆さんを大森寮へ一時的に収容しておるということでありますが、これは一時寮で定着寮ではないと思うのです。しからば、まだ巣鴨におります五十数名の第三国人が出た場合に、定着寮を考える用意があるかないか、この点をお伺いいたします。
受田新吉
このほかに、従来東京都には引揚者の定着寮と申します寮がございまして、そこのあいている部分に中共、ソ連から帰られた方々をお入れしましたものが八十世帯分ございます。この中には、一旦都道府県に定着されて入つて、その中から東京に転入された方もございまして、こういつた方々も含めまして八十世帯分だけが、目下従来の定着寮でお世話いたしております。
田辺繁雄
さつきあなたがアパートやデパ泊トのことを引かれたことで、あなたの考え方の程度が分るのですが、我々はそういうことを論じているのではなくて、社会政策的に見ても、又国家としても当然そういう考えがあればこそ、私達はこの定着寮というものを都営においてやつているので、そういうような特殊な立場から、私が今申上げたような、そういう合理的な解決方法を考えられたことがあるかどうか。
兼岩傳一
で現在都には定着寮七十四ございまして、不幸な引揚者の方の寮が、戰災者の方々の寮が七十四、そうして小さいものでも二十五世帶、大きいものでは吉祥寺の百十六世帶、で四千に近い世帶が七十四の寮に住んでおられるのであります。
兼岩傳一
それが一つと、それから栗山君が申しましたアパートの問題にいたしましても、それから先程の定着寮の問題にしましても、採るべき方法は早急採り得ると思う。吉田内閣の方針としてこういうやり方は間違つておるということを明確にされて来れば、即刻閣議において決定して適当な措置が採られ得るはずであります。
板野勝次
○中山委員長 森寮の方は定着寮で、今のところだれもいないのです。私どもが見ましたときには、そこには一人もおりませんでした。就職して、みなそれぞれへの部門へ入つてしまつていらつしやいますので、今ではがらあきです。ただおせわなさるお方だけがそこにいらつしやるわけです。
中山マサ
大部分は定着寮へ配分したり、家族に引渡しておる状態であります。逃防兒は依然として多く、三十九%を占めておるのでありますが、これは主に渡り者が多いためだろうと存じます。
城南農工場は、二十三年の一月から京都府営となつておりますが、京都定差引揚者の開拓地でありまして、主として満洲開拓民が多いのであります。
中山壽彦
というのはこれは超非常処置としての樺太等から引揚げて來た者が港に上つて定着寮もなし一時寮もなし処置なしというようなところからそういう者をとにかく今日の雨露を凌ぐところがないから無縁故者として取扱うというところでできたのだと思うのです。
岡元義人
ただ先程岡元委員のお話にありましたように、経済九原則が響いて援護廳の予算の面に或る程度の制約を受けたんじやないかというお話の点は、多分先般の第四四半期におきまする樺太引揚無縁故者の住宅建設費の関係、それから東京都におきまする一時寮に滯在いたしております人たち、これを早急に定着寮を建設してそこに移つて頂こう。
岡田好一